ベネズエラ・スペイン映画『リベレイター 南米一の英雄 シモン・ボリバル』

チェ・ゲバラと一緒に旅をしたアルベルトはコロンビアである書物を読みふけっていたそうです。

今から200と1年前の9月にシモン・ボリバルがジャマイカで執筆した「ジャマイカ書簡」。これを読んでみたいと思い、書籍になっているのかを調べたわけでした。シモン・ボリバルが身を潜めていたジャマイカ。ここで過ごした青空と夕闇を思い浮かべながら読んでみたいものです。

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西文の書籍はそれなりに見つかりるものの、英文・和文に関しては残念ながら書籍という形で見つけることは出来ませんでした。英文に関してはオンライン上で西文から英文に訳したものを閲覧できるサイトがあったので、そこから読むことができます。日本では教材として販売されているものが西文で少し見つかりました。それにしても西文で読むことはハードルが高すぎます。。。

英文となると公になっている数には限られていることは知っていましたが、なぜか日本語も同様でした。日本語ではもう少し見つかっても良いと思うのですが。。

いざ、英文で読み始めてみたところ、複雑な言い回しが多用されており、常に疲労感を感じる文章でなかなか読み進めません。青空?夕闇?それどころではありません(笑)。。

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こういった探し物をしていたところ、興味深い映画に出会いました。

“The Libertador”『解放者ボリバル』(2014, ベネズエラ・スペイン)

今は2016年なので2年前の2014年に発表された映画ですが、これまでその存在を知りませんでした。2014年時の作品発表はシモン・ボリバルの誕生日である7月24日に合わせられたようです。

<2018年6月追記>なお、邦題は次のタイトルになっています。

“リベレイター 南米一の英雄 シモン・ボリバル”

この”The Libertador”という映画ですが日本ではDVD, BDともに無いようです。(調べ方が足りないのかもしれません。なお2014年には東京等で上映されたようです)。

<2018年6月追記> Amazonビデオにありました。

作品中ではスペイン語が主に話されておりその部分は英語字幕がつきますが、イギリス人との会話は英語なので字幕はついていませんでした。

Bolivar
馴染み深い肖像画ですね

シモン・ボリバルを演じているのは「チェ」を演じたエドガー・ラミレスで、馴染みのあるシモン・ボリバルとは少し印象が異なります。肖像画は細身で繊細な印象を受けますが、エドガーのシモン・ボリバルは力強さを感じさせてくれます。

ここではその差を考える必要はないと思いますが、動いて話している分だけ肖像画よりもより人間味を感じ、そして身近に感じたことは事実です。

edgar
逞しく凛々しいです

雰囲気は十二分に醸し出されているのではないでしょうか。

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ちなみに、4年ほど前にはチャベス大統領の主導でシモン・ボリバルのDNAを採取したことがありました。目的は復元と死因の確定とのことだそうです。その時に復元されたシモン・ボリバルがこちら。

 

画像は“SIMON BOLIVAR”というプロジェクト・サイトからの引用です。

肖像画よりも男を感じ、聡明な印象も感じます。

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シモン・ボリバルの記録を読み、どのような事を成したのかは僅かながらも知識として知っていたものの、映画でドラマとして観るとその人生でとてつもないことをしたのだなという実感が現れました。凝縮された時間を過ごした事がありありと伝わってくるというのでしょうか。無機質な年号の並びからは感じとることのできない時間の流れを感じました。例えるなら私の10年が、あるいは20年がシモン・ボリバルにとっての1年かのように高い密度を感じます。

映画では状況説明は比較的少なく、時の流れを追っているので、少し予備知識があればより楽しめそうです。”300″や”グラディエーター”のような雰囲気の映画で、このような感じがお好きであれば観入ってしまうと思いました。映像もきれいです。

lady
全編を通して唯一シガーをプロップとして用いられている場面。謎の女: シモンに情報を流すことで手助けする。カンパーニャのようですね、もしやベリコソ・フィノス?(笑)

シガーを口にすると、度々、シガーが西欧に渡ったときのこと、そしてタイノ族のことに思いを馳せることがあります。伝えられた記録を読んだだけで真実はわかりませんし、コロンブスの中で心境の変化があったのかもわかりません。それでも、もっと平和的な手段があっても良かったのではないかと思ってしまいます。時代や文化が大きな要素だ、当時には当時の事情があったのだとは思いますが。

このように感じてしまうのは平和な環境に身を置いているから考えてしまうことなのでしょう。そのような感情を抱いてきたなかで、シモン・ボリバルの存在を知れば知るほど惹きつけられてしまいます。

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シモン・ボリバルがスペインと対峙する動機の一つにコロンブス上陸以来の悲劇への怒りもあったのではないでしょうか。半島生まれではないスペイン人、クリオーリョとしての誇り、生まれ故郷で共に生を受けた人々(インディオ、連れてこられた人々、移住者などの区別なく)とアメリカ大陸への思い等も全て一緒に。もちろんクリオーリョであるがために受ける制約などへの反感もあったことだろうと思います。ただ、各市民の視点からはどのように映っていたのか興味が残ります。

いずれにせよ、とてつもないことを成したことには変わりありません。

シモン・ボリバルは次のように話しています。

“The real discoverer of South America was [Alexander von] Humboldt, since his work was more useful for our people than the work of all conquerors.”
― Simón Bolívar

「真の南アメリカ発見者はアレキサンダー・フンボルト(南米を研究し近代地理学を発展させた)だ。
彼の偉業は征服者のそれに比べてはるかにわが人民に役立っている。」
シモン・ボリバルの気持ちが分かりそうな気がします。

さて、映画についてですが、私には印象的なシーンが2つありました。
1つは、国境を越える行軍の時、応援に駆けつけた増強兵に制約があり国境を越えることが許可されていないことを知った時の彼らへの語りかけ。

My brothers.
This is not the border, this is a river.
When the Spaniards came, they called it a border,
and they divided us.
But we are all sons of America on both banks.
Venezuela and New Granada.
Don’t let them separate us.
If one side falls, the other will, too.
This will be a though battle.
But by crossing this river, you will erase the borders.
And those that don’t come back, those that have the honour and the privilege to shed their blood for our cause, they will at least have the blessing to be buried in a land that is free.
In a free country!
Let’s go on!

「我が兄弟よ。
これは川であって国境ではない。
スペイン人が来た時、国境だと定めて
我々を分断させたのだ。
だが、我々はこの川の両岸、ベネズエラとニュー・グラナダのどちらに居てもアメリカ(大陸)の子である。
スペイン人に我々を引き離させてはならない。
片方が陥落すれば、もう片方も陥落する。
この戦いは困難なものとなろう。
だが、この川を越えることで国境をなくすことができるのだ。
そして踵を返さない者には栄光、そして我らの血を守り、
少なくともこの祝福された自由の地に埋められる権利を得ることになる。
この自由の国にである!いざ進まん!」

脚本ですが、感動を迫ってきますね。こんなこと言われれば渡りたくなってしまうのではないでしょうか。
何より、シモン・ボリバルの言いそうな言葉です。
立場によって物事の見え方は異なりますが、シモン・ボリバルは確かに人民の側から視ていたはずです。

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そして立場によって何もかもが異なることを如実に表現しているように感じたシーンがもう1つの印象的なシーンです。
スペイン軍によって焼き討たれた村に足を踏み入れたシモン・ボリバルが生き残った老婆と話すシーンですが、

「なぜ焼き討たれなければいけなかったのだ?」
と問うシモン・ボリバルに対して老婆は
「私たちが愛国者だからよ」
と答えています。

簡単な一言ですが、重みがあり考えさせられました。

「リベルタドール」「解放者」
私はこれまで、この称号を人民にとってシモン・ボリバルはスペインの支配から解放した人という客観的な意味でしか捉えていませんでしたが、この映画を見ることで主観的な意味もあるということを感じ、気がつきました。
脚本のセリフで「『征服』ではなく『解放』を!」とあります。

「自分が戦うことはアメリカ州をスペインの支配から奪い返しアメリカ州として、大コロンビアとして『征服』するためではない、スペインからアメリカ州を『解放』するためなのだ」という自発的な意味を今では改めて感じています。つまり、同じ過ちを繰り返さないために、またその点を明らかにするためにもシモン・ボリバルが自身に言い聞かせるための主観的な言葉でもあるような気がしてなりません。

立場や見方が変われば「解放」という名の「征服」とも取れるわけですが、映画を通してこの違いを明確に理解させたかったことと思います。

「Who are you? / お前は誰だ?」
「I am the people / 俺は人民だ」

シモン・モリバルが残した言葉かどうかは別として、この映画はシモン・ボリバルの気持ちを代弁しているように感じました。

リベルタドールに灯して観ようと思ったのですが、期待していた映画ではなかったので、途中で視聴放棄するかもとの懸念を持ちながらラモン・アロネスを。。。。見終わるとリベルタドールを吸っていたかったと思ったことは御察しの通りです。。

リベルタドールは、「ジャマイカ書簡」を読み切ったときのために残しておきましょう(笑)

ramonlcdh
Ramon Allones Superiores La Casa del Habano

ラモン・アロネスのLCDH/スペリオーレス、ドラマティックな展開はないものの安定した味わいで煙量も満足感を与えてくれるものでした。

良い映画なのでハバナ・シガー、ボリバーのお供にどうぞ!

ボリバー_リベルタドール

 

 

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